後悔しない、満足できる家を建てたい
昭和38年7月7日生まれ
新築を購入予定の方であれば、誰もがこのように考えます。
最近では「理想の家づくり」という言葉もよく見かけますが、
あなたにとっての「理想の家」とは、一体どのような家なのでしょうか。
家づくりの正解は、ご家族の中にあります。
リバティホームでは「理想の家のカタチ」は住まわれる家族の中にしかないと考えています。
なぜなら
- 家に住む方の人数
- 住む方の年齢
- ペットを飼っているかどうか
- 夜勤の方がいるかどうか
このように生活スタイルが違えば、理想とする家も異なって当然だからです。ですから、当社では“ご家族の希望”を普段からとても大事に扱います。
「誰もが平穏で、ゆったりと快適に過ごせる住む人に合った家造りをしたい」
これは、近代建築の三大巨匠の1人であるフランク・ロイド・ライトの言葉です。私たちはこの言葉を大事にしながら、ライトの思想を受け継いだ、自然と建築が融合した家を建てています。
当社でも、最新の図面ソフトは使っています。これがあれば平面図だけでなく、3D映像、VR映像などで家全体のイメージを掴んで頂くことが可能です。
また当社が建てるのは「自然と建築が融合する家」ですから、ある程度は誰もが「平穏でゆったりと、快適に過ごせる家」になるでしょう。
それでも、やはり、あなたとご家族の中にしかない“理想の家の答え”が分からなければ「本当に建てて良かった」と感じられる家にはなりません。
当社のオーガニックハウスには、他とは違う特徴があります。ですが、まずは「ご家族にとっての理想」を知ることを重視する。そんな私たちの考えに共感して頂けたなら嬉しいです。
社長の生い立ちと経歴
私は地元伊勢の小中学校、高校は伊勢工業高校を卒業しました。
といっても伊勢でずっと育ったわけではなく、幼い頃は父の仕事の関係で東京に住んでいました。
2つ上の姉、年子の妹と両親の5人家族です。 私が小学校に上がるころ、両親の仲が悪くなり別居することになりました。ところが親権の話し合いがつかず、まずは2歳上の姉が、父親の実家がある大分県に引き取られました。
そして数か月後には私も父に引き取られ、妹だけが伊勢で母親と住むことになります。
3人姉弟妹がバラバラに暮らすというのは悲しい出来事です。ですが、私が大分県に引き取られた半年後、母親が朝昼晩と働いて旅費を作り、姉と私を大分県まで引き取りに来てくれました。
一時的とは言え、別々に暮らしたのは辛い経験でした。ですが、今となっては両親に感謝しています。
なぜなら、この出来事のおかげで姉弟妹の絆がとても強くなったからです。
大人になった今はそれぞれが所帯を持ちましたが、リバティホームの事務と宅地建物取引士を兼務する姉とは35年以上一緒に仕事をしています。 妹もリバティホームの事務所の2軒隣りで、ヘアーメイクバイ・アングルという美容院を営んでいます。
そして3人とも近くに住み、いつも互いを助け合いながら仲良く生活しています。
このように家族経営に近いところもあるリバティホームですが、実は創業者は私ではありません。
私はもともと口数が少ない少年で、自分で会社を興すことは考えていませんでした。 そのため高校を出てからは市内の電気会社や鉄鋼会社で勤めた後、仕事のほとんどを一人でできる運送会社に就職。 転機が訪れたのは、それから2年ほど経った昭和61年のことです。
義理の兄弟から「建築の仕事で独立したから、手伝ってほしい」と依頼されたのがきっかけでした。 何とか手伝ってほしいと懇願され入社した、その会社がリバティホームだったのです。
2人でスタートしたリバティホームは、今ではありがたいことに、工事の半分以上がお客様からの紹介が占めるようになっています。ですから、はたから見れば「順調に成長した会社だな」と感じるかもしれません。
ですが、お恥ずかしい話、会社を立ち上げたときの状況は決してカッコいいものではありませんでした。 義理の兄弟が会社を設立した当時は、バブル絶頂期でした。銀行が、いとも簡単にお金を貸してくれる時代です。 好景気に沸く時代の流れもあったのでしょう。義理の兄弟は会社を急成長させようと焦ったのか、伊勢市外に営業所を3ヶ所作り、従業員を10人以上も雇用しました。 身の丈に合わない経営でしたから、当然ながら会社は徐々に資金不足に陥ります。
その結果、債権者から「代表者を代えて再出発を図るように」との指示が出され、25歳になったばかりの私がやむなく代表となりました。
つまり、私、中島恒一郎が2代目になった理由は、資金難が理由だったのです。 中島が先代より会社を引き継いだときの負債総額は、約3億円。業者さんに支払う手形の決済だけでも、毎月1,000万円以上もお金が必要な状況でした。 まさに倒産寸前です。
ですが、そんな危機的な状況の会社を救ってくださったのが、地元伊勢を中心としたお客さまでした。
「今月も1,000万くらい用意しなければ…」と思っていたときに、契約金額1,200万円の建物を契約したお客さまから「中島くん、頭金を現金で1000万円用意した。良い家を建ててくれ!」と手渡しで頂いた事もありました。 その方は、社長が変わる前からお付き合いのあった方です。今思えば、当社の状況を知ったうえで、救いの手を差し伸べてくださったのかもしれません。
このようなご厚意を、他にも幾度となく受けました。その度に難局を乗り越えることができ、まだ若かった私ですが「会社というのは、お客さまの支えがあってこそ存在できるものなんだ」と強く実感したのをよく覚えています。
あれから、早30年。 引き継いだ負債は、なんとか完済することができました。 現在は支えてくださっているお客さまに貢献するため、日々成長を念頭に“お客さまの理想の家づくり”を考えながら仕事に打ち込んでおります。
新築の会社選びは、お医者さんを選ぶのと似ています。
「この人は大丈夫」と思える人に依頼できれば、それだけで半分成功したようなものです。
お恥ずかしい内容もありましたが、私の自己紹介も、そんな会社選びの材料としてお役立て頂けましたなら幸いです。
プライベート
自宅は事務所に併設なので、つい休日でも何らかの仕事をしてしまいます。 丸一日、体が空けられるときは、奥さんと一人娘とドライバーとして県外まで買い物に行くことも。 最近はあまり行けていないのですが、一番の趣味は魚釣りです…